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百笑一気 ~笑顔が好きだから~

早期退職して長野県で晴耕雨読の生活をしています。第二の故郷は中国上海です

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雑感 Vol.42 ~東日本大震災~

今日、3月11日は東日本大震災から9年目です。昼畑仕事をしていたら田舎なので地震発生の時間に市の広報の放送があり黙祷をしました。まだ何千人もの方が行方不明。本当に未曽有の災害だったと思います。

9年前の3月11日。私は息子の大学入学のため東京へ引っ越しに行っていました。息子が四月から生活を始めるアパートに荷物を持ち込み、足りない家電を池袋に買いに行ってアパートに戻って一休みしていたところ地震発生。最初は「あっ地震だ」くらいの感覚でいたのですが、やけに長くいつまでたっても揺れていて、長いなーなんて言っていたら強い揺れが。冷蔵庫の上に置いていた荷物が落ちそうになり必死に抑えていました。揺れが収まってから少し離れたコインパーキングに停めた車が心配で見に行きましたが途中の酒屋さんでは割れた瓶をかたずけていたり普通の地震ではなかったことがすぐわかりました。

車は無事ですぐに息子のアパートに戻りましたがテレビでは仙台空港に押し寄せる津波など衝撃的な映像が流れていました。これはまずいと自宅の長野県まで帰ろうと思いましたが中央道が不通。とりあえず風呂に入ろうと思いましたがガスが使えずテレビを見ていました。

次々と入る被害情報にこれはまずいぞと思っていたところ9時ころ中央道が通れるようになったと情報が入り車に乗り込みました。ここからが大変でした。帰宅難民の歩行者の列が途切れず車の左折もままならない状態。最寄りの国立府中インターまで3時間くらいかかりました。途中息子とトイレに寄ったコンビニにではおにぎりやパンはすべて売り切れ。何とか高速に乗って自宅に着いたのは翌日の深夜2時。妻が心配してテレビを見ながら起きてくれていましたが、千葉のコンビナートが炎上する映像などこれまでに見たことのない被害に驚きました。買い物に行った池袋で地震発生していたら電車も止まって帰れなかったと思いますが、間一髪で自宅に戻れて本当にホッとしました。

私の住む長野県諏訪地方はフォッサマグナが通っておりいつ巨大地震が起きるかわかりません。備えあれば憂いなし。水と燃料はある程度ストックしておきたいと思います。