百笑一気 ~笑顔が好きだから~

早期退職して長野県で晴耕雨読の生活をしています。第二の故郷は中国上海です

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介護 Vol.1 ~父晩年 前編~

私が読者になっている悶々父さん(yoshi-tankunさん)が亡きお父様のことを綴ったブログ。ご家族の優しい対応にとても感動し、私も亡き父について自分の反省にために文章にしたいと思い「介護」のカテゴリーを作って何回かに分けて書きたいと思います。

2013年5月母が癌で他界しました。74歳のちょっと早い死でした。父より9歳若くまさか父も先に亡くなるとは思っていなかったと思います。息を引き取る時は家族で見守ったのですが父は涙を流すこともなくいつも通りでした。でもショックだったんでしょうね。80歳過ぎても畑に出て、世間では働かず怒られる人が多い中、母からいつもそんなに働くなと怒られていた人間がその日から家に籠るようになっていきました。「女やもめに花が咲き、男やもめに蛆がわく」まさにその通りになってしまいました。

昭和一ケタ生まれで台所に立ったことは全くなく、スーパーに買い物にも行ったことがなかったので、私が家族と離れて同居し食事を作るようになりました。家族と離れるといっても自宅から実家は歩いて行ける距離なので毎日出勤前には自宅に行き子供の顔を見ることができましたが・・・。

父は母が亡くなる前に自分で植えたトルコキキョウの苗に水をやることもなくなり、畑に出ることも極端に少なくなったので、私が無理やりパセリの出荷を手伝わせたり、ボケないよう気を使っていたのですが、80代半ばになり色々と問題が出てきました。

夜と昼の区別がつかなくなり明け方の3時とか4時ころ「飯はまだか」と起こされるようになり段々とその頻度が多くなっていきました。起こされて怒鳴りつけると「夕飯じゃねぇだか」と布団に戻り、私は怒鳴って心拍上がって朝まで寝付けない始末。また大食漢だったので一日分用意したご飯を全部食べてしまい私が帰った時には炊飯器がカラになっていたり、耳が遠いのでテレビをつけると音量MAXで大音響で驚かされたり、段々と下着も汚すようになって手がかかるようになっていきました。

また台風が近づいたある日、家から少し離れたビニールハウスのビニールが剥がれてしまい、近所の方が家に知らせに来てくれたのに父は応対することもなく(耳が遠かったので聞こえなかったのかもしれませんが)妻を通じて私に連絡が来て残業を切り上げ会社から帰り夜中に懐中電灯をつけて横殴りの雨が降る中ビニールを切断し応急処置をしたこともありました。作業は終わったのは深夜12時過ぎ。びしょ濡れになって家に戻ると父が悪いわけではないのになぜか父に対して怒りがこみ上げてきました。段々と父に対してつらく当たるようになり、本当に早く死んでくれと思ったり、口に出したりするようになってしまいました。

とはいっても父は自分で食事、排せつ、入浴ができたので介護と言えるものではなく、東京に住んでいる姉も1ヶ月のうち1週間は交替してくれ、今思えばこの程度で大変と言ったり怒ったりしてはいけなかったと思います。

こんな生活を4年続けた2017年10月。姉に父を頼み毎年楽しみにしている上海里帰りをして戻った時。普段は冷静な姉が泣いてうろたえていて、何が起こったのかわからないまま上海での楽しい時間が吹き飛んでしまいました。~中編へ続く~