百笑一気 ~笑顔が好きだから~

早期退職して長野県で晴耕雨読の生活をしています。第二の故郷は中国上海です

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雑感 Vol.32 ~恩師~

田舎の地方新聞にはお悔やみ欄というものがありお亡くなりになった方の情報が載せられます。先日、新聞に小学校1年の時の担任の先生がお亡くなりになったことが掲載され、今日はお焼香に行ってきました。時間に余裕がある今の生活は本当に助かります。小学校一年といえばもう50年前、この先生には1年お世話になっただけなのでそれほど記憶に残らないのが普通ですが、とにかく鮮明に色々な記憶が残っています。また数年前、近所の畳屋さんがこの先生の家の畳を替えた時に先生が私の話をしたそうで、会いたがっていたよと教えてくれ小学校一年以来にご自宅を訪ねてお会いしました。脳梗塞を患われたそうで、若干手の動きが不自由だったのですが90歳近くでも会話も普通にできてお元気そうでした。

95歳でお亡くなりになられたのですが、新聞によると陸軍士官学校に在籍されていたとのこと。軍隊を知っているだけに厳しいことで有名な先生で、一番記憶に残っているのが体育の水泳の授業。通常1年生は水深の浅い13mプールで水遊びのような授業なのですが、私のクラスは上級生が使うまだ足が着かない深い25mプールですぐに泳げるように授業をしました。水を怖がらないよう飛び込み台から遠くに飛び込むよう竹竿を2mくらいのところに渡し、これより遠くに飛ぶ練習をさせられ、2m先に飛び込まないとバチーンと大きな音で竹竿に足を打ち付けていました。他のクラスは雨の日の水泳は中止でしたが雨の日も震えながら泳がされ小学校時代は水泳が嫌いでした。

この先生が特にこだわったのが鉛筆をしっかり持って力強く字を書くこと。鉛筆削りで削ると芯が尖って芯が折れないよう力を入れなくなるため、字を書く前に紙を黒く塗るようにして鉛筆の芯を丸めてから字を書くよう指導されました。筆圧の弱い子には手を重ねてこれくらい力を入れるんだとひとりひとりの手をとって鉛筆の持ち方教えてくださいました。毎日何ページも同じ字を書く宿題もあり、その後小学校や中学校で同級生の字を見ると確実に他のクラスより字が綺麗だったように思います。

昭和40年代で厳しいことで有名な先生でしたので、鉄拳制裁は日常茶飯事。とにかく怖くて礼儀作法にも厳しく、今であれば社会問題化しかねない指導方法かもしれませんが、教えられたことはその後の人生に大いに役立ったと思います。晩年には瑞宝双光章も受章された立派な先生に教えをいただいたことに感謝の念しかありません。ご指導いただき本当にありがとうございました。安らかにお眠り下さい。